- mad0kara - ( マドカラ )

日々のまにまに。私事。ペンペルの詩。福島12市町村。

季節の中で。...1

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はじめに

2020年、7月末、45歳の私は体調を崩しました。
この記事は、私が体調を崩し、また元に戻るまでの経過を記しました。
自分の記録と、また同じ様な症状の方へ、何かのお力になれたらと思い記しました。
人の身体の神秘や複雑さ、そして自分が自分として自覚でき、思うように身体を動かせることの奇跡、有り難さ、、、。
この期間、多くのことを感じ、考え、気づきました。
人間とは、本当に奇跡的で奇跡的なモノゴトの中で生きているのだと実感しました。

季節の中で。

2019年末頃から、世界中で感染症が広まり、その勢いは日本にも及びました。新型コロナウイルスと名付けられたこの感染症は中国から発生したものとされ、自然発生的なものなのか、人為的なものなのか、未だに分かっていません。
2020年4月、東京が緊急事態宣言と呼ばれる、今までに経験したことの無いような状況になりました。外出が制限され、在宅ワークが日常の仕事スタイルに変更されていきました。東京以外でも、県をまたぐ移動をなるべくしないように呼びかけられ、不要不急の外出はしないように呼びかけられました。そして、3密と呼ばれる、3つの密になる状況をつくらないように呼びかけられました。
3密
1 換気の悪い密閉空間。
2 多くの人が密閉する場所。
3 近距離での密接した会話。

こうして人との接触を減らして、感染症を抑えようとしました。

東京在住の私は、緊急事態宣言が発令される前に、パートナーと東京を離れ、ご縁のある島根県へと移動することにしました。
人との接触は避けたく、そして、飛行機も密室状態になるため、車で移動しました。
午後3時頃自宅を出発し、島根県のアパートについたのは深夜の3時頃でした。

こうして4月初頭に島根県に移動し、6月31日まで、約3ヶ月を島根県で過ごしました。

7月、東京に戻ると、東京はまだ梅雨の時期で、どんよりとした曇り空でした。そして、感染症の不安と怖さで、東京は混沌として何とも言えない波動の渦が感じられました。

3ヶ月間の島根県の生活で、私はマラソンが日々の日課になりました。東京に戻ってもこの日課は継続し、毎日走りました。

そして、7月29日、私は、マラソン中に息苦しさを覚え、そのまま、歩いて帰宅しました。夕食の途中から動悸が激しくなり、夕食を途中でやめ、横になることにしました。自律神経が乱れているな、、、と、自分ではそのような認識がありました。

緊急事態宣言

自然災害、感染症(伝染病・疫病)のパンデミック、原子力事故などの災害や、戦争、テロ、内乱、騒乱など、健康・生命・財産・環境などに危険が差し迫っている有事(緊急事態)に際し、国家・地域の政府(地方公共団体を含む)などが、法令などに基づいて特殊な権限を発動するために、或いは、広く一般・公衆に注意を促すために、そのような事態を布告・宣言することである。                 ウィキペディアより

7月

29日

夕刻、日課のマラソン中に息苦しさを覚え、歩いて帰宅する。
夕食中に、体温が上がり、息苦しくなる。
動悸を覚え、横になる。
自律神経が乱れているな、、、との自覚する。

30日

午前中に街の内科医、H医院へ行く。
前日の自律神経の乱れと、息苦しさと、動悸のことを伝える。
心電図をとるが異常はない。

薬を処方してくれた。
エチゾラム 0.5gを数日分受け取る。

エチゾラム
抗不安薬。不安や緊張を和らげて気持ちを落ち着かせる薬。

しかし、薬を飲むことが嫌で、夜、行きつけの鍼灸整体院(H鍼灸院)へ行った。
内ももと頭のてっぺんに針をうった。
全身の力が抜けてラクになった。
元気になった。

31日

午前中、2時間オンラインで仕事をする。
仕事ができた。
すっかり元気になったと思った。

夜。
前日の鍼灸整体院の先生が「もう1回来て」、と言うことで、もう一度H鍼灸院へ行った。
仰向けで治療をした後、うつ伏せになり、背骨のラインに吸い玉と呼ばれる治療を6つほどした。その後、頭を引っ張って、背骨の整体をした。

2時間程の治療だった。
少し衰弱する。

 

 

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