保呂羽山 波宇志別神社 神楽殿
あらためまして、
保呂羽山 波宇志別神社は奈良時代の中頃、天平宝字元年(757年)の創立と伝えられている、秋田県屈指の古社です。
波宇志別神社の本殿は、保呂羽山の山頂、標高438mに鎮座しています。
本殿から4kmほど離れた場所にこの神楽殿はあり、神楽殿はかつて弥勒堂とも本宮とも呼ばれていたそうです。
宮司家の大友家と守屋家が両別当として永く守り伝え、毎年5月の例祭では、湯立神楽の神子舞が行われているそうです。
波宇志別神社里宮神殿を訪ねた後、神楽殿へ伺いました。
フッと昔の時間へ連れて行ってくれるような雰囲気の中、参道を歩き奥へと進みます。
波宇志別神社 その2 里宮神殿 はこちら↓
重要文化財
奥へと進むと厳かな神楽殿が迎えてくれます。
神楽殿は、室町時代の末頃の建立と考えられているそうです。
両流造(りょうながれづくり)
建築の形式は、神社本殿造りの一つ、両流造(りょうながれづくり)というものだそうです。
屋根の前側と後側の庇(ひさし)を伸ばした様式で、珍しい物だそうです。
木材
木材は、主に杉が用いられていて、内部には直径25cmもある柱もあるそうです。
こけら葺(ぶき)
屋根は、杉の手割り板を用いた、こけら葺というもので、日本に古来から伝わる伝統的な手法だそうです。
薄い板を用いて施工し、文化財の屋根に多くみられるそうです。
内部
内部には、桃山時代初期、天正12年(1584年)の墨書のある大規模な厨子(ずし)があるそうです。
厨子とは、仏像や、仏舎利、経典や位牌などを中に安置する仏具の一つで、この神楽殿の厨子の壁板は、前の建物の木材を再利用したことが分かっているそうです。
その木材は、鎌倉時代の初め(1200年前後)に製材された杉の材料だそうです。
平成の修理
平成2年から4年にかけて解体修理が行われ、建立当時の姿に復元を行ったそうです。
軒から上方と、側面の妻造りの破風(はふ)や懸魚(げぎょ)は、江戸時代初期、寛永14年(1637年)の時の修理の形となっているそうです。
歴史的経過
室町時代
建立。
桃山時代
鎌倉時代の木材を再利用して厨子を造り加える。
江戸時代
軒と屋根の改造を行っている。
平成時代
建立当時の姿に復元。
軒と屋根は江戸時代の様式。
神楽殿は室町時代の建物ですが、桃山時代に鎌倉時代の木材を再利用して厨子を造り加え、江戸時代に、軒と屋根の改造を行っている、ということだそうです。
その姿は、専門家の方には平安時代の建物のような雄大さを感じとることができるそうで、神楽殿自体が、さまざまな歴史的な経過を物語っているそうです。
その時代時代で大切にされてきたことがよく分かります。
他にももう少し見たいところがありましたが、波呂羽山 登山から始まる感動の連続で、お腹一杯で、また次回にすることにしました。
まとめ
波宇志別神社は奈良時代からの由緒を持ちますので、もっといろいろ調べてみたくなります。
きっと、様々な時代の歴史や生活、習慣、そして政治的なことまで深く分かっていくのだと感じます。
「ハウシワケ」という呼び名もまた不思議に響きますし、奈良時代以前のことや、もしかしたら、アイヌとの関わりなども想像をしてしまいます。
そして
島根県 売豆紀神社から始まった今回の旅も、浪漫溢れ、驚きの連続で、感動の連続でした。
この旅は、一年以上も前の話になりますが、あらゆる場面が鮮明に思い出されます。
なんと言っても、保呂羽山が包み込むあらゆるものが、生き生きとしていて、視的にも身体的にも綺麗で、光り鮮やかで、振り返ればいつでもそこへ行けそうな気がしてしまいます。
人は古代から
自然と共に生き、
神様と共に生き、
多くの恩恵を頂いてきたことを
改めて実感させて頂きました。
保呂羽山 波宇志別神社 宮司様家 皆様、そして、その歴史と、
島根県売豆紀神社 下照姫様 宮司様 、そして、その歴史と、
大きな流れの中での壮大な物語は、幸せと希望を与えて下さいます。
また、
万物への感謝の気持ちを忘れずに、
長い歴史の中で今があることを忘れずに、
日々を過ごしていきたいと思います。
波宇志別神社 その1はこちら↓
ありがとうございました。