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日々のまにまに。私事。ペンペルの詩。福島12市町村。

記憶旅行 の旅   千葉県 御宿町(おんじゅくまち) へ 

 

御宿町(おんじゅくまち)

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と、ある話の流れから千葉県の御宿へ行きました。目的はずばり、「月の沙漠記念館」です。
大正末期から昭和初期にかけて、竹久夢二らと共に抒情画の全盛期を築き上げた、加藤まさをのことを調べていたところ、この「月の沙漠記念館」に巡り会いました。加藤まさをは、画家であり詩人であり、童謡「月の沙漠」の作詞家だったからです。
綺麗に撮れた写真。お気に入りの一枚です。

ラクダの像

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 海岸線、車を走らせていると広い砂浜に、あるシルエットが浮かび上がります。2頭のラクダに人が乗っている像です。これは童謡「月の沙漠」の作詞家・加藤まさを が、晩年を御宿で過ごし、御宿の海岸が童謡「月の沙漠」のモデルになった、と伝えたことによるそうです。歌詞に登場する、ラクダに乗った王子と姫。。。風が通り、波音に身をゆだねると、時間を忘れ、ここがどこなのか分からなくなってしまう程のスケールとロマンがあります。

 

月の沙漠記念館

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この海岸の前に、洋風の外観で、素敵な、物語にも登場しそうな建物があります。「月の沙漠記念館」です。1階にはショップと素晴らしいギャラリーがありました。2階に展示物が並び、館長さんのお話や解説を聞きながら、拝見させて頂きました。

加藤まさをは、抒情画家で大正8年には、『アンデルセン童話』・『花の精』などの絵はがきが発刊され、抒情詩や抒情画は、『少女倶楽部』・『少年倶楽部』・『少女画報』などの雑誌で発表され、当時の少年少女は胸を躍らせたそうです。本当にとても可愛らしい画です。わたしも癒やされて、ファンタジーの世界に浸ってしまいます。

加藤まさを氏の世界観は
こちらをどうぞ ↓


現在の月の沙漠のラクダの銅像は2代目で、初代はまた別のところにあるそうです。長野の方だとうかがった気がしますが明確には覚えていません。初代ラクダ像が長野の方へ行った経緯もうかがった気がしますが、それも忘れてしまいました。。ですが、初代のラクダ像の写真は2階の展示室で見られたと思います。

難破船 ドン ロドリゴの物語

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 御宿に訪れて、この 月の沙漠 で終わる予定だったのですが、町役場の観光課の方とお話をしていたところ、このお話を聞きました。

1609年(慶長14年)、江戸時代初期の頃、世界ではガリレオが屈折望遠鏡を発明する中、日本のこの御宿海岸では、ある船が台風により難破しました。マニラからアカプリコへ向かって渡航中の、前フィリピン諸島長官 ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルサ(通称 ドンロドリゴ)の乗る旗艦 サン・フランシスコ号でした。海岸から少し離れたところに座礁し、船から乗組員は泳いで岸までたどり着いたそうです。

近くにいた岸和田の村人や海女さんは、船員の冷え切った身体を人肌で暖めたそうです。乗組員373名のうち317名が助けられ、手厚く保護されたそうです。 

当時、岸和田の村には  ”困った人がいたら助ける” 、といった「五倫の教え」というものが存在し、その教えの通り、見たこともない異国の人を、怯えながら助けたそうです。この教えは、今でもこの地域の方々に深く根付いているようで、私も本当に大勢の方に助けて頂きました。 

その後、ドンロドリゴは大多喜城主 本多忠勝の理解ある手厚い措置を受け、徳川家康・秀忠に謁見し、翌年には、ウイリアム・アダムス(三浦按針)に造らせた大型帆船によって相模の浦賀からメキシコに送還されたそうです。これが日本とスペイン、そして当時スペイン領だったメキシコとの修交のきっかけとなったそうです。そして、1928年(昭和3年)岸和田の海岸の丘の上に「メキシコ記念塔」が建立され、「日・西・墨三国交通発祥記念碑」と呼ばれています。 
記念塔にもいきましたが、この時は、先日の台風の影響で近づくことが出来ませんでした。

このドンロドリゴのお話から、私は、徳川家康眠る、静岡県久能山東照宮へ行きました。お話はどんどんどんどん広がって行ってしまいそうで、静岡のロドリゴと家康のお話はまたの機会にします。

 町名の由来

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調べていくと私的に面白いことが多々あり、その一つが町の名前の由来です。

御宿(みやど)せし   そのときよりと  

人とはば

網代の海に 夕影の松                                                                                             北条時頼


鎌倉時代、北条時頼が諸国を訪ね歩いている時に、この土地を訪れ、その風光明媚な景色を好んで詠まれた歌だそうです。そして、この歌から御宿と地名が付いたそうです。 

この「夕影の松」は、最明寺というお寺にあります。お寺に行ってみると、山の頂上に「夕影の松」はありました。現在は、当時の松ではなく2代目だそうです。景観も、大きな建物が立ち、だいぶ変わってしまったと思いますが、当時のことを思い浮かべるには十分な気が致しました

月夜見神社

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やっぱり、ここでも神社を探します。
「月夜見神社」
海岸線を走っていると、御宿漁港のすぐ近く、小さな高台の杜の中にありました。国道沿いに入り口の階段があり、近くに車を止めて細めの階段を登ります。参道ですね。途中に小さなお社があったりして、頂上まで登ると可愛らしい不思議な狛犬様が迎えて下さい下さいました。

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なんだかテンションが上がります。。。そして、
ひっそりとした社殿がありました。

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詳しい記述はありませんでしたが、月夜見命は、月の神でありますし、海の神、漁業の神でもあります。海上安全の御利益もありますから、海辺にひっそりと、しっかりと、静かに海の様子や皆の様子を見守られているのですね。

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帰り道はこんなトンネルのようで、ここはまた別の空間なのだな、、と改めて感じ、穏やかな気持ちにさせて頂きました。


大多喜城

難破したドンロドリゴ一行を手厚く保護したという、 本多忠勝のお城、大多喜城へ行ってみました。

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現在は、本丸跡に建設された「歴史博物館大多喜城」となっておりました。この土地の歴史や、刀や鎧、衣装などをテーマに展示がなされておりました。
大多喜城主本多忠勝は、幼い頃から徳川家康に仕え、13歳の時に初陣し、元服したそうです。のちに、本多忠勝は常に徳川家康の居城の城下に住み、徳川四天王の一人として活躍していきました。

おすすめご飯

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せっかく港町に来たのだから、、美味しいお魚を食べたい、と思い、少しお店を探しました。さかなやの定食 地魚料理 「石松」。美味しかった。金額が心配でしたが、とてもリーズナブルで新鮮で美味しかったです。ご主人に聞きました。シャイなお方で、静岡は浜松出身のようで、森の石松がお好きなようでした。

まとめに

 

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御宿の町はリゾート地ということもあり、シュロの木が立ち並び、どことなく異国情緒が溢れています。

 

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わたしが訪れた時は、オフシーズンということもあり、少し寂しい感じもありましたが、地元のサーファーが遠くの方で波と戯れていました。

おまけ。。。エビアミーゴ!!  

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おまけのエビアミーゴです。この可愛いキャラクターを町のあちらこちらで見かけました。御宿町は伊勢エビ漁が盛んなのだそうです。町を訪れた最初の頃は、このキャラクターは何なのか分かりませんでしたが、帰る頃には、なるほど納得、とてもとても愛着が湧きました。

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